韓国旅行

プロローグ

 1985年初めてソウルを訪れたとき、地下鉄2号線はまだ工事中だった。街は至る所で掘り返され、歩道はまっすぐに歩けなかった。キムチとニンニクのにおいが充満していた。喫茶店のコーヒーはインスタントコーヒーでやたら甘かった。高度成長期の日本がそうであったように、人々はみなせっかちで、他人を顧みる暇もなく先を急いでいた。ソウル第一の繁華街、明洞は夜中を過ぎてもにぎやかで、明洞のど真ん中の中級ホテルの部屋まで、夜中の喧噪が聞こえてきた。韓国語は激音や濃音が豊富で、人々の大声の話し声は、まるでけんかをしているようだ。アジア的パワーのあふれる街だった。

ソウル(2003年)

HL1MTJ

HL1MTJ

 子どもたちが少し大きくなったので、家族でソウルに行くことにした。家族で初めての海外旅行である。私にとっては、4回目のソウルとなる。今回の目的は、HL1MTJパクさんと会うこと。そして北朝鮮との軍事境界線、板門店に行くことである。パクさんはEcholinkの友人で、ソウル郊外に住む日本びいきの韓国人である。2003年の春、アシアナ航空の関空・ソウル便の価格は25500円だった。これに空港使用料を入れて約3万円。家族5人で約15万円が航空運賃となった。当時の為替レートは100円が1100ウォン、3泊4日の短い旅行である。

 宿は、忠武路にあるアストリアホテルで、繁華街の明洞までは歩いて10分くらい。こぢんまりした2級ホテルである。明洞ほど騒々しくないし、部屋は明洞より広い。ツインとトリプルの2部屋に3泊宿泊して韓食の朝食つきで約6万円だった。もちろん日本語は通じる。私は近代的な一流ホテルは泊まれないし、泊まらない。もちろん値段が高いためだが、多くの団体客が昼夜を分かたず出入りすると、何となく旅情がないように感じてしまう。ただし旅人宿だと今度はうらぶれたラブホテルのようなところも多く、これもまた趣味に合わない。

 アストリアホテルのロビーで、パクさんと待ち合わせて、近くの焼き肉レストランに出かけた。なかなかの健啖家だ。食事が終わって明洞までみんなで屋台を冷やかしながら歩いた。パクさんには、息子さんが一人いて、後年、河内長野の私の家に遊びに来た。

板門店

南北境界線(左北朝鮮・右韓国)

南北境界線(左北朝鮮・右韓国)

 ソウルに着いた翌日、板門店を訪れた。板門店は、北朝鮮と韓国との軍事境界線上にあり、両国の会談が行われる会議場を挟んで、社会主義と資本主義が対峙する緊張の場である。2001年の映画JSAの舞台となったので覚えている人もいるかも知れない。個人で観光することはできず、必ず韓国の旅行社を通じて事前に申し込む。現在はいくつかの会社がツアーを扱っているようだが、当時は2社だけで、私たちは統一展望台と板門店を訪問する大韓旅行社の日本語のツアーに申し込んだ。しかし10歳未満の子どもはツアーに参加できず、残念だが、当時9歳だった一番下の息子と家内とはロッテワールドで留守番である。したがってツアーには、私と2人の息子の3人で参加した。ツアーに向かうバスの中で、ガイドが朝鮮戦争の歴史や韓国軍と兵役についての話など事前学習となる話をする。

 バスは最初にイムジン河をはさんだオドゥ山統一展望台に立ち寄った。対岸には北朝鮮の村落が見える。説明では人為的に作られた模範的集落であるとのこと。その後板門店に向かう。パスポートの検閲があり、大韓旅行社の観光バスから国連軍のバスに乗り換えて非武装地域(Demilitarized Zone)にはいる。周りは有刺鉄線が張り巡らされ、道路にもバリケードが設置されて、バスはゆっくりとジグザクにしか走行できないようになっている。少し走ってブリーフィングセンターで昼食をとった。板門店を訪問するにはドレスコードがあり、ジーンズ・Tシャツは禁止である。ドレスコードに抵触する人は、ここでズボンを着替えさせられたり、上からシャツを着せられたりしていた。これから訪問する統合警備区域(JSA)では生命や安全の保障がないことを承認する署名を行い、国連のゲストバッジを渡される。

韓国警備兵と

韓国警備兵と

 いよいよ板門店だ。行動はすべて案内者に従い、写真は許可されたところ以外では撮影できない。緊張が高まる。ツアーでは朝鮮戦争の休戦協定が行われた会議場に入ることができる。テーブルを挟んで、北と南が対談するおなじみの会議場である。この建物の真ん中に軍事境界線がある。しかしツアー客はこのときに限り、部屋の中の北朝鮮側に越境することもできる。韓国側からのツアー客のいる時間は、韓国兵が会議場を警備している。サングラスの兵士は表情がなく全く不動である。ここでは写真撮影が可能だ。不動の兵士の横に立って写真を撮るのは変な感じである。会議場を出ると少し緊張がほぐれる。すぐ近くの八角亭の上に立つと北朝鮮側の板門閣が見通しである。第3警備所からは北朝鮮の村落が見渡せる。160メートルの鉄塔の上に立つという北朝鮮の国旗もよく見える。ちなみに韓国側の国旗の高さは100メートルだそうだ。ここでは、警備兵たちも少しにこやかになる。

 社会主義と資本主義とに分断された国家は、東西ドイツが統一された今、朝鮮半島にしか存在しない。ベルリンの壁と同様、あと何十年かで軍事境界線もなくなるかも知れない。今、板門店に行くことは非常に貴重な経験に思える。エステや買い物もいいが、是非みなさんも立ち寄ってほしいポイントである。

韓国民族村

韓国民族村

 板門店の翌日は、家族揃ってのんびりと水原の民俗村を見学した。古い韓国の農村風景が広がるテーマパークである。各種のキムチをあてに、上等の白ワインのような風雅な韓国酒法酒をしこたま飲んでいい気分だ。韓国では、なにか料理を頼むと白菜キムチ、大根キムチ、水キムチ、野菜キムチなど数々のキムチが副菜としてついてくる。民俗村ではさすがにそんなに多くのキムチはついてこないが、あてには十分だ。昨日とはうって変わって、ゆっくりとした午後を楽しんだ。桜が満開のうららかな春の日であった。

釜山・慶州(2004年)

HL5KYと家族

HL5KYと家族

 2003年夏、HL5KYジョーさん一家が日本を訪問する途中で私の家に立ち寄り、2004春、今度は私たちが釜山のジョーさんの家を訪問した。ジョーさんは、金海空港で私たちを出迎えてくれた。車で太宗台に行く。途中釜山港の横を通過する。数多くの造船ドッグが見える。韓国と日本とは、造船受注量世界一を争っていたはずだ。釜山近郊の太宗台は対馬海峡を望むリアス式海岸の絶景地。天気も快晴で、対馬は見えなかったが、眼前に広がる水平線がさわやかであった。

 韓国は1970~80年代に飛躍的に発展した。釜山も大きく変わった。ソウルオリンピック直前に家内と訪れた時には、まだ港町の雰囲気を残していたが、今では、横浜や神戸に似た港湾都市といった方がいいだろう。車のクラクションを聞かなくなった。街が綺麗になり、静かになった。熱いアジアがまた一つ失われていく。

 ジョーさんの家で夕食をごちそうになった。骨付きの鶏を唐辛子味で甘辛く煮たもの、春雨サラダ、スープ、そしてキムパプ。キムパプは、中に具材を入れて、韓国のりで巻いた細巻きである。ごまの香りが香ばしい。日本のおむすびのように、遠足の子どもたちの弁当、コンビニ、屋台でよく見かける。それぞれの家庭でそれぞれのキムパプが作られる。子どもたちも食事を気に入って、家内は鶏の炊き方を教えてもらったようだ。私にとってはビールがなかったのが、少し残念であった。夕食後は、今晩の宿泊地トンネ温泉のホテル農心まで送ってもらう。ホテル農心は綺麗なホテルだ。今年はリゾート地を訪問するので、ホテルは少しリッチにした。

 韓国は日本と違って安定陸塊の上に位置しているので、火山が少なく温泉も少ない。トンネ温泉は、釜山の北に位置する韓国で一番古い温泉で、植民地時代に今日のような温泉街ができた。ホテル農心は温泉施設「虚心庁」と隣接しており、宿泊客は無料で入場できる。「虚心庁」は1000人以上入れるというスパガーデンである。日本の旅館の桧の露天風呂とは趣が違って、健康ランドという感じだ。温泉の入り方も異なる。完全にスッポンポンだ。タオルは浴室には持って入れない。私は落ち着かないので長湯はしなかったが、子どもたちはいろんな浴槽を回っていた。

 翌日は、高速バスで慶州に向かった。5人で2000円、1時間で慶州につく。普門湖リゾートのウエリッチ朝鮮ホテルまでタクシーに乗る。韓国は、タクシーも含めて交通費が非常に廉価だ。タクシーは初乗り2Kmで150円。地下鉄にいたっては1区間70円である。ホテルに荷物を置いて市内バスで校外の仏国寺に向かう。慶州は日本で言えば、飛鳥のような場所で、かつての新羅の中心だ。仏国寺は世界遺産にも登録されており、多くの観光客が訪れる。韓国の修学旅行生も多い。創建は528年と伝えられ、文禄の役(壬辰倭乱)で大部分が焼失したが、1970年代に大規模な修復再建がなされ今日に至っている。境内は広大で、建物も大陸的でゆったりとしている。名刹である。その後シャトルバスで山の上の石窟庵も見学した。

新羅の古墳

新羅の古墳

 次の日、国立博物館から、古代の氷室の石氷庫、星を観察した天文台を通って古墳公園である大綾苑まで歩いた。新羅の首都であった慶州には、新羅王の古墳群がある。これも壮大である。仁徳陵など日本の古墳は宮内庁が管理しており、一般人には公開されないが、新羅の古墳はよく手入れされ、内部に立ち入ることができるものもある。今年も桜が咲き誇るのどかな日であった。おりからホテルのある普門湖リゾートでは、「餅と酒まつり」が開催されており、韓国餅と韓国酒を十分に楽しんだ。